最近、「老害」というワードをよく目にします。
「姥捨て」より敵意満々の、どうしようもない苛立ちのこもったこの言葉…(>_<)
でも「老害」って、平成・令和になって突然出現したものではなくって、人類始まって以来、ずーっといたはずなんですよね。
で、若者は、「老人だからこんなもんだ、仕方ない」と我慢していたんですよね。そしてその若者が老人になり…の繰り返し。
いま「老害」と言われている人たちも、若いときは年配者に対して「困ったもんだ」「自分はこうはなるまい」と思っていたのではないでしょうか。
それがなぜこうなってしまうのか。
それは、加齢に伴う脳の老化。
これは個人差が大きいところですが、男女問わず、アラフィフあたりから頭脳と身体のパフォーマンスが目に見えて低下するように思います。
疲れやすい、体がだるい、忘れっぽい、記憶力が落ちる、面倒なことを考えるのが嫌になる、などなど。
そしてそれがさらに10~20年ほど経過すると、
それまで非常に周囲に対して思いやりのある、優しく穏やかだった人が、あるとき突然イライラして怒り出すようになる。
周りはびっくりです(◎_◎;)
ところがその時点で、「オレは何いってるんだ、悪いことをしたな」と反省したり、親しい人や身内に注意されて自分の言動を反省すれば、この老化にはかなりブレーキがかかるんです。私が見た限りですが。
で、反省できる人というのは、普段から「周りに愛されている人」「周りに尊重されている人」なんですよね。
逆に言うと、普段、人からぞんざいな扱いを受けていたり、馬鹿にされていたりすると、「老害」症状は悪化することはあってもよくなることはない…と思います。
若者が、年配者を「ウザい」「迷惑」と思う気持ちは分かります。
思えば私自身も子供の頃から40代前半まで、中高年に対して「こうはなるまい」「ほんと勘弁してほしい」と思ったことが何度もありましたm(__)m
ところが、40代後半から様々な老化現象を自覚するようになりました。
そして、この次々と現れる老化を重ねた先、30年、40年後にはどうしているのだろうと考えてしまいました。
年齢とともに、耳も目も、頭も体も衰えるのは避けられません。
そう思うと、ムカっときたとしても、「先輩に対するねぎらいとリスペクト」と、「子供に対するような受容(これは決して馬鹿にしているわけではありません)」を心がけて対応するべきなのだろうと思います。
まあ、こちらもストレスになるし、難しいですけどね(‘◇’)ゞ
でも、みんな、腹が立って口では色々いっても、結局は優しい若者が多いですよね~(*^▽^*)
私は自分の変化を意識してから、少しでも老化に抗うべく、キライな運動を少しずつ始めたり、食事に気を使ったり、今まで縁のなかったこと(このブログもそうです)にチャレンジしています。おかげで若いときに劣らず、楽しい毎日を過ごしています。
ああ、若者に嫌われない老人になれるかなー。
この超高齢化社会、世代間でお互いの特徴・特長を理解し、許し合い、協力しながら学び合っていけたらいいな、と思います。